2009.07.03

“やつらの足跡のバラード”

 最近、なんか1週間遅れで記事を書くリズムになってきたかな。

 先週は、鹿児島で行われた日本旧石器学会に物見遊山。

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 旧石器は鹿児島名物なので、まあ概説を話せる程度には情報収集しておこうと、専門的にはまったくやる気がないので気楽に参加。

 だいたい、鹿児島で旧石器の研究は大学などでは無理とまではいえないが埋文センターの人達などに太刀打ちできない。 数mも面的に掘るなんて高速道路とかの大規模事業でないとムリ。そういう調査をした資料が大量に蓄積されている。

 研究会はおもろかった。 やはり、石の世界はディープだ。技法とかは、ちんぷんかんぷん。 でも、話を聞いて資料を見ていたら、ちょっとわかった気になってきた。気のせいかな。

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 石器の展示を見るすきもの達。

 さすがに古墳の研究者の姿は見ず。旧石器と古墳って、なんか相容れないものを感じるものな。 両方で一流の研究者って福岡のハカタントロプスさん(鹿児島県出水市出身の)くらいでない?

 しかし、日本旧石器学会って、名前「日本」がついている割には少ないな。九前研の半分以下じゃないか。 鹿児島だからか?

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2009.06.25

私が愛した裕次郎

 サンスポで考古学記事。しかも芸能記事で。珍しいな。

http://www.sanspo.com/geino/news/090625/gnj0906251025019-n1.htm

 石原裕次郎の家の土地を発掘したときを振り返る寺田さん。「80年、新居から古墳発見」、ん違うぞ。古墳時代の遺跡だろう。

  なんと、寺田さんのUP写真まで。

 いつの間にか、もう54歳になっておられたのね、と関係のないところに目が行く。 そら、野毛大塚掘っていた頃から20年近くなるもんな。....そうか、あの巨大事業、野毛大塚の発掘、私たちがお世話になっていた頃の寺田さんは、今の自分の年よりも若かったのだ...。  

 へんなところに考えさせられる記事。うーーーん。

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2009.06.24

水田

 構内にて、田植え。Img_3465 先日、梅雨の合間に...

 合間というかこの時期、例年ものすごい量の雨が降る鹿児島でも今年はエライ雨が少ない。今年も、高松はたぶん干上がるだろうな。

 本来の田植えの時期だよな...。鹿児島では早場米や超早場米が主流(たぶん)なので、2月・3月なんかに田植えをしていたりする。この時期の田植えはほとんど見ない。最初に見たときははびっくりした。もう田植えかいって。

 というのも、ここは遺伝情報保存水田。いろんな品種を保存するための水田。で、本来の田植えの時期に田植えしているのだろう。 稲は長期に種の保存ができず、数年したら播かないと発芽しなくなるそうで。 写真・農学部育種の人達。

 古米や事故米は食えても。

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2009.06.23

まぼろしの邪馬台国-島原-

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邪馬台国とは関係ありませんが、九前研。

懇親会にて。

 昨年の後期古墳より、だんぜん面白かった...という評価は、昨年の発表者として...crying

P1110243 メインディシュは“たいらがね”

けっこう残している人多かったな。モッタイナイ。

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 旅館の近くで。

 ...(言葉をなくす)

 猿田彦を祀っています。

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オプショナルツアー

 守山大塚古墳 

 墓の上にどっさり墓がのってる。

 古墳の上に墓をつくることは良くあるけど、ここまでたっぷり山盛りなのは大和の燈籠山とかくらいしか思いつかないな。 後は雲仙普賢岳。

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 墓に喜々として群がる人々

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 もう、現説終わったから良いかな。 “まぼろしの邪馬台国”の人が発見した古墳、全長80m、前期古墳では けっこう大きい。

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 ひとつ上の写真は、ちょっと写真が悪いが台座に載った地蔵。 徳島では“高地蔵”といって江戸中期以降、後期~明治につくられたものがたくさんある。 江戸時代以来の姿を残した吉野川に掛かる堰、第十堰を洪水の悪者にしてコンクリート製の可動堰にしようとした建設省とそれに乗っかった“歴史家”は高地蔵を洪水の証人に仕立て上げた。吉野川下流域に大きいものが多いのは事実だがバカげた話だった。 私が徳島にいた当時まさに第十堰問題の最中。懐かしい。ここの地蔵を見ると、南無大師返照金剛の文字が、徳島に多いのも弘法大師信仰との関係だったのかな。香川にもけっこうあったし。その関係はよく分からなかったが。

 当時の高地蔵のHPがまだ残っていた→ http://yoshinogawa.mandala.ne.jp/sympo/jizo.html

 最後の写真は、諫早湾の潮受け堤防。“ギロチン”、第十堰で、諫早湾干拓運動を牽引されていた山下弘文さんの話を聞いたのを思い出す。 もはや、諫早湾は後戻りできないところまできたのか。  まわりに土地、休耕地だっていっぱいある。 減反政策だって続いている。なぜにこんなところを埋め立てる必要があるのか。

 その後は住民反対運動も実り、第十堰は保存された。今も変わりないだろうか。

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